幼い頃はおばあちゃん子で、いつも祖母にくっついて歩いていた。
大正生まれだった祖母は、戦争を体験していたはずだが、僕にその話をすることは無かった。
それっぽいことで憶えているのは、「食べ物の恨みだけは買うな」と「マンシュウ」という言葉だけ。僕にはそれ以上の情報は残っていない。
18年間も一緒に暮らしていたのに、僕から祖母に戦争のことを聞くことはなかった。 その祖母もとっくに居ない。もう何も聞けないことを、今更になって強く後悔している。
祖母はもういないが、いまは娘がいる。
戦争を知らない僕が、戦争を知らない娘に何が出来るのか。『この世界の片隅に』を通して少しだけ考えてみた。
【悲しみを知ること】
夏になると戦争映画を観る。
戦争映画は描写も生々しいし、目を背けたくなるけど、なんとなく体に入れておいた方がいい気がして、毎年観ている。
この夏は、2019年公開映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を観た。
前作『この世界の片隅に』が2016年に公開され、そこからさらに原作のストーリーを加えたものがこの作品である。
この映画は、いわゆる軍隊ものではないし、激しい戦闘シーンもそれほどない。
主人公の女性「すずさん」の、戦時中の生活を描いた作品である。
原作者のこうの史代さんは、漫画『この世界の片隅に』のあとがきで、こう書いている。
この作品では、戦時の生活がだらだら続く様子を描く事にしました。そしてまず、そこにだって幾つもの転がっていた筈の「誰か」の「生」の悲しみやきらめきを知ろうとしました。
戦争から学べることは、戦争そのものだけではなく、より普遍的で大切なことがあると思う。「誰か」の「生」の悲しみやきらめきもその一つ。
生活の地続きにある戦争。
その戦争によって引き起こされた、たくさんの悲しくてやりきれないこと。
まずは、そういったものを知ることが、戦争を考える第一歩になる気がする。
【すずさんを想像すること】
『この世界の片隅に』は、戦時中を含む昭和初期の広島が舞台。主人公「すずさん」を中心に、その周りの人々と生活を描いている。この「すずさん」のキャラクターこそが、作品の最大の魅力といっても過言ではない。
監督、原作者をはじめ、作品に関わるすべての人が「すずさん」を愛し、敬意を持って作品作りをしているのが分かる。
想像力の使い方としてこうあったらいいんじゃないのかなと一番思うのは、「目の前にいる人の心の中にあるのは何なのだろう」ということを想像すること。
片淵監督が言った「目の前にいるひと」こそ、その時代に生きていたであろう「すずさん」であり、その「すずさん」を実在させるために、監督自身が当時の日常を徹底的に取材し、時代考証を重ねた。
だからこそ、この作品には他の戦争映画とは違ったリアリティがあり、「すずさん」がその時代にいたことを、ちゃんと感じさせてくれる。
追体験というんでしょうか、同じ時間をかけて自分も同じ気持ちを体験しないとつかめないというのがあったんですね。
すこしネタバレになるが、絵を描くことが好きだった「すずさん」は、物語後半で爆弾によって利き手の右手を失う。
それを受けて、原作者のこうの史代さんは、「すずさん」が右手を失って以降のペン入れを、すべて左手で描いたという。こうのさんの言う「追体験」とは、このことである。
役作りのために歯を抜いた俳優さんは聞いたことあるが、追体験ために左手でペン入れをした漫画家さんは聞いたことがなかった。
このエピソードだけでも、原作者がいかに「すずさん」を知ろうとし、想像しようとしているのかがよく分かる。左手で描いた絵も含め、原作漫画を読む価値は大きい。
こうの史代さんが描くすずさんを演じるのは、私じゃなきゃ嫌です
「すずさん」の声を演じるのは、女優「のん」。本名は能年玲奈。『あまちゃん』の彼女である。
作品での彼女の声を聞くと、片渕監督が「のんさん以外のすずさんは考えられない」と言ってオファーしたのが頷ける。ぼんやりしたところもあるけど健気な「すずさん」と「のん」のイメージはぴったり一致した。
加えて「のん」自身が、「すずさん」のことを想像し、理解しようと努めた。
分からない言葉や感情も、監督と話合いをしながら解釈をしていった。
その積み重ねが「すずさん」を実在の人にしていった。
このように、たくさんの人の想像によって「すずさん」が実在し、その「すずさん」を通して僕は、戦争というものを想像することができた。
【戦争を語り継ぐこと】
『この世界の片隅に』と「すずさん」を通して、すこしは戦争を知り、想像することができたと思う。あとは、娘やその世代に何ができるのか。
そのヒントになる言葉が、こうの史代さんの漫画で原爆をテーマにした『夕凪の街桜の国』のあとがきにあった。
そういう問題(原爆)と全く無縁でいた、いや無縁でいようとしていた自分を、不自然で無責任だと心のどこかでずっと感じていたからなのでしょう。 ~中略~ 原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかなければならないはずでした。
「戦争」「原爆」「平和」など、どこか無縁でいようとしたのは僕も同じ。
左とか右とかレッテルを貼られるのも嫌だから、むしろ避けていた。
でも、こうのさんの言う通り、何も経験しなくとも、どの場所、どの時代にいても、考えて伝えてゆかなければならないことがあると思う。右も左も関係なく、上から下へと「語り継がなければならない」ことは必ずある。
2016年公開の『この世界の片隅に』は、制作資金をクラウドファンディングで集めたことで有名になった。しかし、はじめは企業に出資を求めるも、興行的に成功するか分からないという理由で断られている。それでも、「この作品を世に出したい」という人たちの思いが、クラウドファンディングという形になっていった。そこに損得は存在せず、たくさんの人の「語り継がなければならない」という思いがあったに違いない。
僕は娘に、何を語り継がなければならないのか。
損も得も、右も左も関係なく、何が語り継げるのか。
まずはこのブログと、『この世界の片隅に』を観てもらおうと思う。