ドキュメンタリー映画が好きで、何を観ようかネットサーフィンしている。
その日もTwitterをひらいて、何か面白そうな映画がないか探していた。
気になる映画を見つけては、予告動画を再生、見つけては再生を繰り返していた。
ある映画の予告動画を再生し、手が止まった。
同級生が出ていた。
たまたま見つけためちゃくちゃ面白そうな映画に、同級生が出ていた。
これは観るしかないと思ったが、見つけた時点ではまだ公開前。
10月の公開を待ち、ポレポレ東中野へ観に行った。
【笑うに笑えない映画】
舞台は北陸の保守王国、石川県。
現役最長7期27年の谷本正憲知事、その長期県政が招いた「忖度」と「同調圧力」。そして、そんな同調圧力の強い社会で暮らすムスリム一家と、車で自由に移動しながら仕事をするバンライファ―家族。
その3つのストーリーが交わりながら、映画は進んでいく。
「一見、ばらばらな話のようだが、ストーリーで共通するのは、ムラ社会の意識で、忖度や空気を読むことがまん延する男性中心の日本の状況だ。」
監督のいう「ムラ社会」「忖度」「男性中心」といった日本を取り巻く空気。それを可視化したのが、この『裸のムラ』である。
公式サイトにこう書かれていた。
「笑うに笑えないポリティカル(政治)・ドキュメンタリー」
たしかに、笑うに笑えなかった。
「ムラ社会」の異様さは、客観的に見ると滑稽で笑える。
でも、政治家を裸の王様にしているのも、マイノリティを住みにくくしているのも、「ムラ社会」の住人である自分たちなのだと気付かされると、笑うに笑えなかった。
映画鑑賞後、東中野からの帰り道。中央線の電車内には多くの男性サラリーマンがいた。
改めて気付く。男性中心のムラ社会、日本。笑うに笑えなかった。
【五百旗頭さん】
『裸のムラ』の監督は、五百旗頭幸男。
読み方が分からなくて、Googleで調べた。イオキベユキオ。
このイオキベさんが手掛けた映画は、今回が2作目。
1作目は『はりぼて』。
富山県の県議会でおきた政務活動費の不正問題を扱った作品。
半年間で14人が辞職するといった前代未聞の不祥事を、コメディとして描いていた。これまた笑うに笑えなかった。
五百旗頭さんは、富山チューリップテレビの報道記者兼キャスターとして活躍していた。しかし、『はりぼて』を制作後に同局を辞め、石川テレビに移籍、『裸のムラ』を撮った。
17年勤めたチューリップテレビを辞める時のことを、彼自身がこう語った。
「社会を覆う空気はテレビ局をも支配し、官邸の顔色ばかりうかがう官僚機構同様、テレビ局にも忖度がはびこり同調圧力が強まった。」
つまりは、テレビやメディアも「ムラ社会」だということ。
そこに正しく抗う五百旗頭さん。
知事会見では、知事に忖度せず、厳しい質問をする五百旗頭さん。
「ムラ社会」の空気を読まず、核心を突く五百旗頭さん。
そんな五百旗頭さんを見て、空気を読みがちな僕は背筋が伸びた。
【裸の王様の正体】
もう一つ、背筋が伸びたこと。
それは、バンライファー中川生馬さんのエピソードだった。ちなみに、中川さんの妻結花子さんが、僕の高校時代の同級生。
中川さんは、オレゴン大学卒業後、ソニーなどで会社員として勤務。
約10年間の東京での会社員生活を経て、その後バンライファーに。
妻、娘2人と石川に住みつつ、自由に車で移動しながら広告の仕事をしている。
車での移動は長女の結生ちゃんも同行している。
色んな場所で楽しく過ごしている結生ちゃん。
お父さんとバンライフを楽しみ、自由奔放に育つ結生ちゃん。
そんな結生ちゃんにも、一つだけ不満げなことがある。それは「日記を毎日書くこと」。
広告の仕事をしているお父さんはその経験から、文章を書く大切さを伝えようと、娘に日記を毎日書くことを課している。
娘はお父さんの期待に応えようと、日記を書こうとするが、なかなか上手く書けないし、そもそも遊びたいしで、いらいらしてしまう。
でも、不満をお父さんには直接言わず、お母さんにちょっとだけ漏らす。
自由を求めてバンライファ―になった父は、娘の「日記を書かない自由」を認めなかった。「ムラ社会」から離れた父は、家族の中で別の「ムラ社会」を形成していた。
このエピソードが僕には刺さった。
算数の大切さを伝えようと「うんこドリル」を買い与え、毎日のように「うんこドリルやった?」と、娘に聞いている僕には刺さった。
また、妻の問いかけに対して「知らん!」と一言で返し、王様のように振舞う僕にも刺さった。
「ムラ社会」を笑っていた自分も、結局は「ムラ社会」を作っていた。
笑うに笑えないコメディーの主人公、裸の王様は僕だったんです。
それに気付いた途端に身体が冷えてきたのは、気付きのせいか冬の訪れか。
ひとまず、うんこドリルはしまって、ヒートテックを取り出そう。
一旦、裸の身体と心を温め直します。