いつだったのかは憶えていないが、阿佐ヶ谷姉妹が本当の姉妹じゃないことを知って、割と驚いた記憶がある。
血の繋がっていない二人が、一つ屋根の下で一緒に暮らす。そんな日常のお話。
読み進めていくうちに、「姉妹」が「夫婦」に思えてきた。 というか、「夫婦」の話だと思って読んだら、刺さる言葉がいくつかあり、参考にしている自分がいた。
【血が繋がっていても】
僕は以前、血の繋がった実の兄と、数ヶ月だけ同居していたことがある。海外にいた兄が急に帰国し、一時的に僕の家に住むことになったからだ。
大学生の僕が住んでいたのは、阿佐ヶ谷姉妹と同じく、六畳一間。 なので、本に書かれている阿佐ヶ谷姉妹の生活は、なんとなく分かる。
兄弟とはいえ、生活リズムも違えば、習慣も違う。僕は、次第に家を空けるようになり、最終的には、当時の彼女の家に入り浸っていた。
たとえ血が繋がっていても、同居は簡単ではない。それを、阿佐ヶ谷姉妹は長年続けていた。
その秘訣というか、ヒントのようなものが、この本から読み取れた。
【感謝の気持ちのふた】
本書は、阿佐ヶ谷姉妹の「ふたり暮らし」を、姉えりこ、妹みほ、それぞれの視点で語られている。
血の繋がりのない二人が、それぞれの考え、それぞれの言い分をすり合わせ、一緒に暮らしている。それは、まさに「夫婦」だと思った。
冒頭でも言ったが、「夫婦」だと思って読むと、刺さる言葉がいくつかある。
モヤモヤする気持ちの上に、感謝の気持ちでふたをして、しばらくは北枕のまま、横に寝ようと思います。
同じ屋根の下で、寝食をともにすれば、何かしらモヤモヤすることはある。誰もが、その気持ちの処理を考える。
気持ちにふたをしてしまえば、モヤモヤは溜まり、いつか大爆発を起こす可能性がある。そうなってしまうと、最悪の場合、夫婦を続けることが出来なくなってしまう。
また、ふたをしなければしないで、モヤモヤが煙って、なんだかお互い息苦しくなる。
そこで、「感謝の気持ちのふた」を使い、落としぶたのように、軽くふたをする。そうすることで、煮物のように、夫婦関係も煮崩れしないで済むだろう。
【やってもらう事は「サービス」】
もう一つ、姉えりこの言葉で心に残ったものがある。
相手に勝手に求めて勝手に腹を立てたりするのは、変な話で。やってもらう事は「必須」ではなく「サービス」なのだ。そう思うと、落ち着いてきました。
「家族サービス」という言葉がある。
昨今、お父さんがこの言葉を使おうものなら、「サービスとはどういうことだ!」「家族は客か!!」と怒号が飛んできそうだ。
これは、やる側(お父さん)が使うから角が立つわけで、やってもらう側(家族)が使うぶんには、収まりがいい。
「今日のお父さんは、サービスが行き届いてるね!」「最近のお父さんはサービスが凄い!もはやサービスエリアだね!」など、やってもらう側の反応が、関係を良好にする。
夫婦関係にも、きっと使える。
「あなたは元気を給油してくれる、わたしのサービスステーションよ!」などといったら、相手は張り切ってサービスしてくれるだろう。
なんか話が逸れてしまった感じだが、無理やりまとめると、「夫婦関係が煮崩れしないよう、感謝の気持ちのふたをし、アナタのサービスステーションになる!」 こんなところだろうか。いや、ちがうか。
お口直しに、ユニコーンの『サービス』でも聴こう。