「みうらじゅん」という人に、どんなイメージを持っているだろうか。
サブカル、マイブーム、ゆるキャラ、長髪、グラサン、タモリ倶楽部
大体こんな感じではなかろうか。僕もそうだった。しかし、彼を知れば知るほど、外せないのが「仏教」というキーワードである。みうらじゅんの言動は、いつもふざけているようで、実はある真理に基づいている。それが「仏教」であり、それこそが彼のルーツである。
この本では、みうらじゅんの仏教解釈、グラサンから見えている世界がよく分かる。それは、楽しい人生、彼の言う「グレイト余生」を過ごすための、ヒントが隠されている。
【みうら少年と仏像】
みうらじゅんと仏教の出会いは、彼の少年期にさかのぼる。
怪獣好きだったみうら少年。京都・東寺の仏像群をみて「怪獣みたいでかっこいい」と感じたのをキッカケに、少しずつ仏像の世界にはまっていく。
小一から作り始めていた「怪獣スクラップブック」は、小四には「仏像スクラップブック」に移行。たくさんの仏像に触れ、小学生にして「ウルトラマンと弥勒菩薩」の世界観の共通性に気付くほど、仏像に造詣が深くなっていた。
住職になりマイ仏像を手に入れるという夢を叶えるため、仏教系の中学へ進学することを決意。受験で、筆記はボロボロだったものの、面接試験で「仏像トーク」を炸裂。校長先生に「君のような人を待っていた!」と言われ、見事合格。
中高では、吉田拓郎、ボブ・ディランの影響を受け、仏像よりギターにはまる。さらには、横尾忠則の影響で美大を目指し、二浪して武蔵野美術大学に合格。
1980年、漫画雑誌「ガロ」でデビューしたあとは、「マイブーム」「ゆるキャラ」などを生み出し、テレビでも活躍。いとうせいこう氏との「見仏記」や、阿修羅ファンクラブ発足など、大人になっても仏像との関わりは深い。
【自分探しより「自分なくし」】
そんな経歴を持つみうらじゅんが、仏教を分かりやすく伝えてくれるのがこの本である。基本的な教義も、みうらじゅん独特の解釈を加えて、面白く教えてくれる。
仏教に詳しくない僕が、その中でも感銘を受けた教えが「無我」であり、「無我」をもとにした彼の考えである。
自分探しより、「自分なくし」
世の中の風潮として、「自分がない」ことはダメで、「自分がある」ことがイイとされる。だから、自分を見失いそうになると、なぜだか不安になり、「本当の自分」を探しに旅に出ちゃったりする。
でも、仏教では「無我」つまり「本当の自分」なんてものは、元々ない。この世のすべては、お互い影響し合うことで成り立ち、何一つ単体で存在するものはない。
だから「自分探し」より、むしろ「自分なくし」の方が、自分自身も不安にならないし、周りにも良い影響になるのではないか、そう唱えている。「自我」よりも「無我」だし、「自分」よりも「周り」を考えることが、巡り巡って自分のためになる、僕はそう解釈している。
この「自分なくし」をすることを、みうらじゅんは『僕滅運動』と名付け、以下のように語っている。
「僕滅運動」をすることで、世界平和までは無理でしょうが、周囲の平和ぐらいまでは実現できる。
すごくいい言葉だと思う。タモリ倶楽部に出ている怪しげな人が、これを言っている所にグッとくる。
【「マイ仏教」で「グレイト余生」】
「自分なくし」「僕滅運動」など、みうらじゅんは、言葉を上手に使って前向きになれる方法を教えてくれる。僕自身も、いくつかお世話になっている言葉があるので、紹介したいと思う。
『比較三原則』
「他人」「過去」「親」、この三つと自分を比較してはいけない。ほんと、その通りだと思う。何かと比較して、満足できたためしがない。隣の芝生が青く見えだしたら、要注意。自分の芝生の手入れをした方がいい。
『老いるショック』
日常で老いを感じたときに「老いるショック!」と言って笑うようにする。これをすることで、老いを前向きに捉えることができる。僕自身も記憶力低下に「老いるショック!」それをキッカケに、このブログを始めた。老いをいかにして受け入れるか、これから先、この言葉に救われることが多くなるはず。
『不安タスティック』
不安な気持ちに「タスティック」を付けることで、楽しく捉えようとする考え方。大きな不安の時ほど、「不安タスティック!」で、ほんとどうでも良くなる。たいがいの不安は、これでどうにかなる。
他にも、みうらじゅんが生んだ言葉はたくさんある。その多くは、仏教の教えに基づいており、彼はそれらを「マイ仏教」として、自分自身の教義としている。
楽しい人生、「グレイト余生」を過ごすために、僕自身も、彼の言葉や自分の経験を通して、自分だけの「マイ仏教」を築いていこうと思っている。